気ままに生きる男の気ままな日常

非正規雇用で気ままに生きている男が気ままに綴っています。

不登校

僕を救い続けている母からの言葉

中学2~3年の不登校時代。 同級生が嫌い。勉強が嫌い。学校へ行きたくない。 深い闇の中にあった。 そんなときでも、これまでと変わらない態度で接してくれたのが、母だった。 内心は深い不安があっただろうに、いつも笑顔で接してくれた。 特に今でも印象に…

フリースクール……それは「子供」時代への回帰……

1999年、不登校児だった僕は、中学3年に進級とほぼ同時に、市の公民館の一室にある、生徒数総勢10名程度のフリースクールへと通うこととなった。 詳しい制度はよく分からなかったが、フリースクールへ通えば、現時点で籍を置いている学校に「出席」している…

不登校……そしてフリースクールへ通うまで……

1998年、僕は学校へ通わない不登校児となった。 一時的に保健室登校をしていたが、程なくして全く学校へ通わなくなってしまった。通う意味を見いだせなかった上に、同級生への嫌悪感がどうしても拭い去れなかったのだ。(詳しくは以下の記事にて)

中学の不登校の原因について、今にして思うこと……。

僕が中学校に通えなくなった理由については、以前の記事で書いた。(詳細は以下の記事にて) chijoji.hatenablog.com しかし、今つらつらと思い返すに、他にも理由があるようにも思う。 それももっと単純な、そしてもっと物理的な何かが……。

不登校……保健室登校をしていた頃……

1998年、中学2年に上がってしばらく後、僕は学校へ通わなくなった。 しかしその2年の3学期頃だったか、僕は一時的に「保健室登校」をしたことがある。 最初に「保健室登校」を薦めたのが誰だったかは忘れてしまったが(おそらく母だったと思う)「保健室登校…

中学時代の不登校……それは社会不適応への歩み……

僕が中学生の頃、不登校になったことは以前の記事で書いた。(詳細は以下の記事にて) chijoji.hatenablog.com 今回はその頃について、もう少し詳しく綴ろうと思う。 中学校……6年という長い小学校生活を経て、大きく環境に変化が訪れるときだ。僕はこの「大…