気ままに生きる男の気ままな日常

非正規雇用で気ままに生きている男が気ままに綴っています。

仕事

特殊な者は特殊な世界で生きるしかないのか? 「特殊な凡人」の存在は許されないのか?

ここに二人の男性がいる。 一人は、こう言った。 「僕は繊細な作業は出来ないが、物を持ち上げたり、体を動かしたりすることには抵抗はありません。否、むしろ好きです」 ある者が、こう返した。 「そうか。そんなに好きなら重量挙げの選手やスポーツ選手を…

中性的な存在への憧憬。性別が絡む行事が苦手……。

去る2月14日、バレンタインデー。それは私にとって、何事もなく過ぎ去るはずの日だった。しかし、同じ仕事場の年配の女性から、それは手渡されてしまった。……チョコレート……。その瞬間、私は思った……、「ああ、やはり私は、男なのだ」と……。 私が自分の性別…

しんどい状況でも少しのポジティブを……

現在僕はとある製造会社に勤めていることは、以前の記事で書いた(詳細は以下の記事にて)。 chijoji.hatenablog.com chijoji.hatenablog.com その会社に昼勤で勤めるようになって、もうじき8か月が過ぎようとしている。 その間に、色々な変化があった。 主…

社会不適応界隈の「著名人」たちに興味が持てない

この世には社会に馴染めず、自分なりの方法で成功を収めた人達がいる。 シェアハウス「ギーグハウスプロジェクト」の発起人である、元「日本一有名なニート」phaさん。 しょぼい起業こと「イベントバーエデン」の発起人。えらいてんちょうさん。 「0円で生き…

高校時代第2のアルバイト……それは「労働者」としての僕のルーツ……

高校2年のときに、僕はスーパーで半年程アルバイトをした(詳細は以下の記事にて) chijoji.hatenablog.com それから約1年後の高校3年のときに、僕は2度目のアルバイトをすることになる。 選んだのはまたしても近所のスーパー(高校2年のときに勤めていた所…

高校時代のアルバイト……それはコミュニケーション下手のルーツ……

高校2年生の春。 人生初のアルバイトは近所のスーパーだった。2001年のことだ。 朝の9時から2時までの5時間で、週5勤務であった。 出勤して最初にやることは、菓子パンのコーナーで開店前の品出しを行う。これを1時間程。そして開店後は食料品のコーナーで残…

「個別な価値観」に準じようとする僕の現状

「個別な価値観」で生きる……。 ……がしかし、お金は稼がなければならない……。 当然である。そうしなければ、生活が出来ない。 そして最も手っ取り早い方法は、雇われ労働である。 だが雇われ労働は「一般的な価値観」に基づいた行動である。

「一般的な価値観」から「個別な価値観」へ……

「正社員にならなきゃ駄目だ」「もう少し将来の事を考えろ」「いつまでもこんな事をしていてはいけない」 ……派遣社員をしていると、このような言葉を何度となく浴びせられる。 確かにこれらの言葉は、ある種の正論なのだと思う。 しかし、その正論は「一般的…

夜勤から昼勤へ……そして現在に至る……

2019年4月、現在勤めている会社にて、夜勤から昼勤へと移った。(現在の職場への入社の経緯は以下の記事にて)

現在の職場……そしてブログやTwitterの世界へ……

2018年2月、給湯器の製造会社を退職した。 精神が限界を迎えてしまったからだ。(詳しくは以下の記事にて)

捨てたはずの恋愛感情……そして負った心の傷……(後編)

2016年、僕はとある給湯器を製造している会社に勤めることになった。 そこである女性を好きになってしまった。様々な想いがない交ぜとなり、とても辛い日々を過ごしていた……。(詳細は前編にて↓)

捨てたはずの恋愛感情……そして負った心の傷……(前編)

2016年5月、飛行機部品の製造会社を半ば追い出されるようにして退職した。 次に選んだ仕事は、給湯器の部品を造っている会社だ。

アットホームな職場……それは「自由という名の牢獄」……

2015年9月、電力会社を退職した僕は、当時所属していた派遣会社の紹介である機械部品の製造会社に勤めることとなった。

電力会社での勤務……それは束の間の平穏……

2013年11月にパチンコの製造の仕事を辞めた。 精神に限界がきていたのと、主流派であるヤンキー連中と不仲であったことで、会社内での立場も悪かったのだ。

パチンコ台の製造……或いは解放されたエゴ……

2011年4月、パチンコ台の製造業務に就いていたが、所属部署の劣悪な雰囲気に耐えられず、異動することとなる……。(詳細は以下の記事で…)

パチンコ台の製造……狂犬の群れの中にあって……

2010年、パチンコ台の組み立て及び検査の仕事に就いた。 以前経験があったので、こなせる自信があったのだ。

仕事を転々とする日々……そしてリーマンショック……

とある製造工場に派遣社員として、フルタイムで働き始める。 あるモーターを造っている工場だったが、スーパーでのアルバイトとはあまりにも違う暗い雰囲気に耐えられず、3日で辞めてしまった。やっぱり苦労して高収入を得るよりも、無難に稼いだ方がいいと…

卒業……そして煩いの無い日々……

2004年3月、進路未定のまま高校を卒業した。 就活をする気になれなかったのだ。