気ままに生きる男の気ままな日常

非正規雇用で気ままに生きている男が気ままに綴っています。

「聞き役」に徹し過ぎたことの代償……僕の「聞き役」体験談

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僕は、所謂「一方的に話す人」と呼ばれるタイプの人達に対し、忌避感を覚えてしまう……というのは、以前の記事で書いた。(詳細は以下の記事にて)

 

 

chijoji.hatenablog.com

chijoji.hatenablog.com

 

上記の記事の中で僕は、「自分は聞き役に徹し過ぎたことで、自分にとって有害な人を引き寄せてしまった(要約)」と綴った。今回は、そんな聞き役に徹していた頃の自分について少し綴ろうと思う……。

 

 

 

僕は元々話をするのが苦手な男だった。誰に話しかけられてもうまく返すことが出来ずただ「うん」とうなずくだけ……。当然自分から話題を振っていくことなど論外であった。

 

 

だが僕はそんな自分がとても不満であった。「うなずくだけじゃ芸がない。もう少し他人とお話がしたい」……しかし僕は話せない。話題の引き出しが余りにも少なすぎるのだ。だから言葉が一文字も浮かばないのだ……。

 

そこで僕は一つの結論に辿り着く。

 

「そうだ。話が出来ないのなら、人の話を聞くことに徹すればいいのだ」

 

……と。「聞く」といっても、相手の話に対してただ「うん、うん」とうなずくだけでは、今までと変わらない。もっと相手の話を傾聴し、自分がそれなりに返せそうな点を見つけ、そこに相槌や質問、共感の合図等を挟むことで話題を広げるのだ。そうすれば相手は気をよくしてもっと話し出すはずだ。そしてその中からさらに返せそうな点を見つけ、質問したり、共感を示したり……それを繰り返すことで、場を保てるようになるはずだ。

 

思い立ったが吉日。僕はさっそくそれらのアイデアを実践した。

するとどうだろう。今まで話しかけられても、ものの数秒で終わってしまっていた会話が、5分、10分、30分……相手の調子がいいときは、1時間以上も場を保たせることが出来るようになった。

 

嬉しかった。こんな自分でもやり様によっては、人と会話が出来るのだ。

相手の話の内容の中には、他愛のない愚痴やら自慢話といったものも多かったが、それを聞くのも、また一興なのだ。そうした他愛のない話から「この人はこういったことに不満を抱くのか」「この人はこのような考えを持っているのか」「この人の自慢はこれなのか」……等々、一人の人間に対する理解も深まり、それはそれでとても楽しいものなのだ。世の中には、「人の愚痴は聞いてて疲れる」などと言う人もいるが、要は聞き方一つなのだ。聞く意識を変えれば、愚痴や自慢話も面白いものなのだ。

 

……僕は少々調子に乗っていた。いつの間にか立派な「聞き上手」を気取るようになっていたのだった。しかし、そんな僕を戒めるかのように、ある事件が起こる。年甲斐のない恋愛感情とそれに付随して生じた潔癖症に悩むこととなったのだ。(詳細は以下の記事にて)

 

 

chijoji.hatenablog.com

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それまで人の話を聞いているだけで満足していた僕は、初めて心の底から「話したい」と願うようになった。

 

「誰かにこの悩みを聞いてもらいたい」……しかし、そんな僕の願いも虚しく、周囲の友人たちは僕の顔を見るなり愚痴や自慢話のオンパレードで、取り付く島もない。

しかし僕は「聞くこと」しか出来ない。話の振り方が分からない……否、そもそも友人らは絶え間なく自分の話をするので、話を振る隙が全くないのだ。「お前は聞き役だろ。話をするんじゃない」と言わぬばかりだ。だが僕はそれでも聞き続けた。聞き続けていれば、いつか友人らは僕の誠意を感じ取り、僕の話を聞く気になってくれるはずだ。

 

……しかし、そんな日は訪れなかった……永遠に……。

 

僕は初めて自分の「聞き役」という立場に疑問を持つようになった。「僕が築いてきた友人関係は何だったのだろう。困ったときに悩みも聞いてくれない友人ばかりじゃないか」……と。

 

そういえば僕の友人は皆、愚痴やら自慢話をする人間ばかりで、僕自身のことには興味を持ってくれない人ばかりだった。僕が余りにも「聞いてあげるオーラ」とでもいうものが強すぎたため、いつのまにかそのような利己的な人達ばかりを引き寄せてしまったのだ……。

 

それに気づいた瞬間、僕は「聞き役」を辞めると共に、「一方的に話す人」を忌避するようになったのだ……。