気ままに生きる男の気ままな日常

非正規雇用で気ままに生きている男が気ままに綴っています。

中性的な存在への憧憬。性別が絡む行事が苦手……。

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去る2月14日、バレンタインデー。それは私にとって、何事もなく過ぎ去るはずの日だった。しかし、同じ仕事場の年配の女性から、それは手渡されてしまった。……チョコレート……。その瞬間、私は思った……、「ああ、やはり私は、男なのだ」と……。

 

 

 

私が自分の性別に疑問を感じるようになったのは、性同一性障害といったような、先天的な理由によるものではない。明らかに後天的な理由による。

 

 

私は女女男の三人姉弟の母子家庭で育った。物心つくころから女性に囲まれて育ち、自分と同じ男性という存在がどのようなものなのか、全く理解出来ない環境にあった。たまに親戚の叔父さんと会うことはあったが、普段全く触れあったことのない「男性」という存在に対し、言いようもないある種の恐怖感を抱いていたのを覚えている。

 

そのような環境であったため、学校へ通いだす年齢になったとき、私は周囲との違いに戸惑うようになる。車、飛行機、プラモデル……周囲の他の男の子が好むようなこれらのものにも、私は余り興味を示すことが出来ず(アニメや特撮ヒーロー等は、例外的に好きだった)、ドッジボール、サッカー、バスケ、野球等男の子が率先してやりたがるスポーツも大の苦手であった。当然ながら私は当時の男子社会からは浮いた存在になった。同級生たちからは奇異な目で見られ、ついたあだ名はそのものズバリ「女」であった。加えて家庭内においても末っ子という立場からか、母や姉たちから過保護にされていたため、自然と彼女たちに対して従順なだけの存在となっていった。このような環境にあっては、自身の男性としての価値観など築き得ようはずもなかった。

 

そしてこの「男性としての価値観の喪失」による弊害は、働きだすようになってから、より顕著となった。建築作業、重量物の扱い、工作機械のオペレーター等の所謂男性向きの仕事は全く出来ない。否、仕事自体は出来ても、上記の様な基本的に男性が大勢を占めている職場が醸し出す荒々しい或いは粗雑な雰囲気が、致命的に駄目なのである。

私が気の向く仕事とは、細やかで清潔な…所謂女性向きとされる仕事である。しかし、そのような仕事は、基本的に男性は働けない。求人誌等で気になる仕事を見つけても、「女性活躍中!」という文面が躍っていることが多く、そのたびに意気消沈している次第である。よしんばそのような仕事に就けたとしても、自分以外は女性であることが多く、浮き上がった存在となってしまい、とても居住まいに窮する。

 

男性的な職場では己の男性性の希薄さに悩み、女性的な職場では中途半端に表出している男性性に悩む……。いずれにせよ、私は己の「男性」という記号に悩まされる。それは自身の男性としての自信の喪失にも繋がっていく。そしてそのような自信を喪失していく日々の中において、私は次第に己の「男性」という記号そのものが重荷となっていった。男性的な声、男性的な肉体、男性的な服装……何故自分はこのような記号を背負って生きなければならないのか? 男性的な記号を消し、性別という概念を感じさせない中性的な存在へと変貌したいと願う想いが、最近強く芽生え始めている次第である……。

 

……そのような想いを持つ私にとって、冒頭のバレンタインデーのような性別の概念が絡む行事は少々の苦痛を感じる。否応なく己の生物学的な性別を意識せざるを得ないからだ。なるべくこのような行事とは無縁でいたい。性別を感じさせない存在でありたい……。