気ままに生きる男の気ままな日常

非正規雇用で気ままに生きている男が気ままに綴っています。

中学

不登校……そしてフリースクールへ通うまで……

1998年、僕は学校へ通わない不登校児となった。 一時的に保健室登校をしていたが、程なくして全く学校へ通わなくなってしまった。通う意味を見いだせなかった上に、同級生への嫌悪感がどうしても拭い去れなかったのだ。(詳しくは以下の記事にて)

中学の不登校の原因について、今にして思うこと……。

僕が中学校に通えなくなった理由については、以前の記事で書いた。(詳細は以下の記事にて) chijoji.hatenablog.com しかし、今つらつらと思い返すに、他にも理由があるようにも思う。 それももっと単純な、そしてもっと物理的な何かが……。

不登校……保健室登校をしていた頃……

1998年、中学2年に上がってしばらく後、僕は学校へ通わなくなった。 しかしその2年の3学期頃だったか、僕は一時的に「保健室登校」をしたことがある。 最初に「保健室登校」を薦めたのが誰だったかは忘れてしまったが(おそらく母だったと思う)「保健室登校…

不登校……毎日学校へ嘘の電話を入れる母……

中学2年の6月頃、学校を欠席し始めた。 1998年6月某日、 特別嫌な出来事があったわけでも、体調が悪かったわけでもなかったが、あまりにも学校へ行きたくなくて、 「体調不良です」 と母に学校へ電話させてしまった。

中学時代の不登校……それは社会不適応への歩み……

僕が中学生の頃、不登校になったことは以前の記事で書いた。(詳細は以下の記事にて) chijoji.hatenablog.com 今回はその頃について、もう少し詳しく綴ろうと思う。 中学校……6年という長い小学校生活を経て、大きく環境に変化が訪れるときだ。僕はこの「大…

中学……そして不登校に……

中学は公立で、40人ほどのクラスが10クラス。一学年だけでも400人弱という近隣でも有数のマンモス校だった。小学校の頃とは違い、周囲のクラスメイトたちは成績の競い合いに血道を上げるような奴らばかりになってしまった……。そんな雰囲気を嫌う僕は、…