自らに余命を課すことで前向きに生きる……
「自分に無理をさせない範囲で、細々と生きていく」
……これが僕の「個別な価値観」だということは、以前の記事で述べた。(詳細は以下の記事にて)
だが僕にはもう一つ、より大事な価値観……というより人生観がある。それは……、
「僕の余命は残り少ない。だから、やりたいことだけ やって死ぬ」
……「やりたいことだけ やって死ぬ」……これは名古屋市公認アーティストである川本マサフミさんの言葉である。僕のような「一般的な価値観」に基づいた世界が生き辛いと感じる人間にとっては、とても心に響く言葉である。
僕は薄給の非正規労働者だ。よっていつ何時経済的に困窮するか分からない状況にある。そして最悪は死に至る可能性すらある。「一般的な価値観」に基づけば、そうなる前に何らかの方法で経済的な安定を図るべきなのだろう。しかし僕はそのような「一般的な価値観」に準ずる生き方は苦痛しか感じることが出来ない……。
よって現状の僕は、やりたいこと乃至はやれることしか出来ない。
それならば、そのやりたいこと乃至はやれることを精一杯楽しんで生きていきたいのだ。経済的困窮による死を迎えるまで……。
……と、こう書くと何やら悲壮感が漂っているように感じるだろうが、むしろ上記のような人生観を持つことで、僕は幸福に生きることが出来ている。
僕は「一般的な価値観」が説くところの……、
「安定した職に就き、安定した収入を得て、人生80年で大往生」
……という考えは堅実なようでいてその実、返って人を追い詰める考えであるように思うのだ。
安定とは手にすることよりも、維持することの方が困難である。
その困難にどうしようもなく耐えられない人間も存在する。維持していた安定を失い、絶望に襲われる者もいるだろう。
そのような者たちにとっては、上記のような「安定に固執した80年の人生」など苦痛以外の何物でもないだろう。そして最悪の場合、その苦痛に耐えかね自ら死を選ぶ者も現れるかもしれない。「就職に失敗した者が、将来に絶望して自殺……」などということはよく聞く話だ。
末長い人生をおくるための上記のような考えのために、かえって死を早めてしまう場合もあり得るのだ……。
だがそのような場合でも「自分の余命が後数年しかない」と考えればどうだろう。
どのような絶望に見舞われても「後数年程度なら、その数年だけでも生きてみよう」…と思えるかもしれない。そしてその間、自分のやりたいと思うことをやって生きようと思えるかもしれない。
要は生きるためのハードルをぐっと下げるのだ。
少なくとも僕はそのように人生のハードルを下げることで幸福に生きれている……。
*本文中に紹介した名古屋市公認アーティスト・川本マサフミさんのオフィシャルサイトです。