気ままに生きる男の気ままな日常

非正規雇用で気ままに生きている男が気ままに綴っています。

2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

自らに余命を課すことで前向きに生きる……

「自分に無理をさせない範囲で、細々と生きていく」 ……これが僕の「個別な価値観」だということは、以前の記事で述べた。(詳細は以下の記事にて)

「個別な価値観」に準じようとする僕の現状

「個別な価値観」で生きる……。 ……がしかし、お金は稼がなければならない……。 当然である。そうしなければ、生活が出来ない。 そして最も手っ取り早い方法は、雇われ労働である。 だが雇われ労働は「一般的な価値観」に基づいた行動である。

「一般的な価値観」から「個別な価値観」へ……

「正社員にならなきゃ駄目だ」「もう少し将来の事を考えろ」「いつまでもこんな事をしていてはいけない」 ……派遣社員をしていると、このような言葉を何度となく浴びせられる。 確かにこれらの言葉は、ある種の正論なのだと思う。 しかし、その正論は「一般的…

自身のトラウマについて……心の傷に悩んだ2年間……

2年程前、僕はとある職場に勤めていた時に、あるトラウマを負ってしまった……。 トラウマを負うに至った詳しい経緯は以下の記事にて綴ったので、読んで頂ければ幸いである。

夜勤から昼勤へ……そして現在に至る……

2019年4月、現在勤めている会社にて、夜勤から昼勤へと移った。(現在の職場への入社の経緯は以下の記事にて)

現在の職場……そしてブログやTwitterの世界へ……

2018年2月、給湯器の製造会社を退職した。 精神が限界を迎えてしまったからだ。(詳しくは以下の記事にて)

ハイパーアクティブな人々……一方的な話し手たち……

前回までに2記事にわたって、僕の苦い恋愛体験とそれによって負ってしまったトラウマについて綴った。(詳細は以下の記事にて↓)

捨てたはずの恋愛感情……そして負った心の傷……(後編)

2016年、僕はとある給湯器を製造している会社に勤めることになった。 そこである女性を好きになってしまった。様々な想いがない交ぜとなり、とても辛い日々を過ごしていた……。(詳細は前編にて↓)

捨てたはずの恋愛感情……そして負った心の傷……(前編)

2016年5月、飛行機部品の製造会社を半ば追い出されるようにして退職した。 次に選んだ仕事は、給湯器の部品を造っている会社だ。

アットホームな職場……それは「自由という名の牢獄」……

2015年9月、電力会社を退職した僕は、当時所属していた派遣会社の紹介である機械部品の製造会社に勤めることとなった。

電力会社での勤務……それは束の間の平穏……

2013年11月にパチンコの製造の仕事を辞めた。 精神に限界がきていたのと、主流派であるヤンキー連中と不仲であったことで、会社内での立場も悪かったのだ。

パチンコ台の製造……或いは解放されたエゴ……

2011年4月、パチンコ台の製造業務に就いていたが、所属部署の劣悪な雰囲気に耐えられず、異動することとなる……。(詳細は以下の記事で…)

パチンコ台の製造……狂犬の群れの中にあって……

2010年、パチンコ台の組み立て及び検査の仕事に就いた。 以前経験があったので、こなせる自信があったのだ。

仕事を転々とする日々……そしてリーマンショック……

とある製造工場に派遣社員として、フルタイムで働き始める。 あるモーターを造っている工場だったが、スーパーでのアルバイトとはあまりにも違う暗い雰囲気に耐えられず、3日で辞めてしまった。やっぱり苦労して高収入を得るよりも、無難に稼いだ方がいいと…

卒業……そして煩いの無い日々……

2004年3月、進路未定のまま高校を卒業した。 就活をする気になれなかったのだ。

鬱々とした高校時代……そして「歴史」との出会い……

高校は定時制に入った。 中学卒業時の出席日数と成績では、他に入れる学校が無かったからだ。

中学……そして不登校に……

中学は公立で、40人ほどのクラスが10クラス。一学年だけでも400人弱という近隣でも有数のマンモス校だった。小学校の頃とは違い、周囲のクラスメイトたちは成績の競い合いに血道を上げるような奴らばかりになってしまった……。そんな雰囲気を嫌う僕は、…

母子家庭…末っ子長男或いは満たされない承認欲求と恵まれた愛情

1984年に愛知県で生まれる。 父は自営業者(住宅のリフォーム業)、母はパート従業員。 4歳上の姉と3歳上の姉がいる。 父と母は僕が生まれて間もなく別居(母は僕がお腹にいる頃から父との別居を決めていたらしい)、母子家庭で育つ。