気ままに生きる男の気ままな日常

非正規雇用で気ままに生きている男が気ままに綴っています。

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

不登校……そしてフリースクールへ通うまで……

1998年、僕は学校へ通わない不登校児となった。 一時的に保健室登校をしていたが、程なくして全く学校へ通わなくなってしまった。通う意味を見いだせなかった上に、同級生への嫌悪感がどうしても拭い去れなかったのだ。(詳しくは以下の記事にて)

中学の不登校の原因について、今にして思うこと……。

僕が中学校に通えなくなった理由については、以前の記事で書いた。(詳細は以下の記事にて) chijoji.hatenablog.com しかし、今つらつらと思い返すに、他にも理由があるようにも思う。 それももっと単純な、そしてもっと物理的な何かが……。

不登校……保健室登校をしていた頃……

1998年、中学2年に上がってしばらく後、僕は学校へ通わなくなった。 しかしその2年の3学期頃だったか、僕は一時的に「保健室登校」をしたことがある。 最初に「保健室登校」を薦めたのが誰だったかは忘れてしまったが(おそらく母だったと思う)「保健室登校…

不登校……毎日学校へ嘘の電話を入れる母……

中学2年の6月頃、学校を欠席し始めた。 1998年6月某日、 特別嫌な出来事があったわけでも、体調が悪かったわけでもなかったが、あまりにも学校へ行きたくなくて、 「体調不良です」 と母に学校へ電話させてしまった。

中学時代の不登校……それは社会不適応への歩み……

僕が中学生の頃、不登校になったことは以前の記事で書いた。(詳細は以下の記事にて) chijoji.hatenablog.com 今回はその頃について、もう少し詳しく綴ろうと思う。 中学校……6年という長い小学校生活を経て、大きく環境に変化が訪れるときだ。僕はこの「大…

高校時代第2のアルバイト……それは「労働者」としての僕のルーツ……

高校2年のときに、僕はスーパーで半年程アルバイトをした(詳細は以下の記事にて) chijoji.hatenablog.com それから約1年後の高校3年のときに、僕は2度目のアルバイトをすることになる。 選んだのはまたしても近所のスーパー(高校2年のときに勤めていた所…

高校時代のアルバイト……それはコミュニケーション下手のルーツ……

高校2年生の春。 人生初のアルバイトは近所のスーパーだった。2001年のことだ。 朝の9時から2時までの5時間で、週5勤務であった。 出勤して最初にやることは、菓子パンのコーナーで開店前の品出しを行う。これを1時間程。そして開店後は食料品のコーナーで残…

一方的に話す人の危険性について

僕は一方的に話す人に対し強い忌避感を抱いている、ということは以前の記事で書いた。(詳細は以下の記事にて) chijoji.hatenablog.com しかも僕の場合、忌避感と言っても、ただ単に「疲れる」とか「しんどい」ということだけに留まらない。上の記事に書い…