中学時代の不登校……それは社会不適応への歩み……
僕が中学生の頃、不登校になったことは以前の記事で書いた。(詳細は以下の記事にて)
今回はその頃について、もう少し詳しく綴ろうと思う。
中学校……6年という長い小学校生活を経て、大きく環境に変化が訪れるときだ。僕はこの「大きな環境の変化」について行けなかった……。
僕が「環境の変化」というのを意識し始めたのは、同級生たちの態度からだ。
小学校時代、僕らは遊ぶことしか考えていなかった(少なくとも僕はそうだった)。同級生たちと話す話題はいつもゲームや漫画、ドラマ等の「遊び」の話ばかりだった。勉強だの通知表の成績だのは「遊び」を邪魔するやっかいな存在でしかなく、そのようなことをガミガミ言ってくる親や先生にはそっぽを向く……それが小学生だった。少なくとも僕や周りの同級生たちはそうだった。
ところが、中学にあがった途端、彼らの話題の中心から「遊び」というものは遠ざかり……、
「今度のテストは目標〇〇点だ」
「後〇〇点取れば、あいつに勝てる」
「お前は何点だった。俺は〇〇点だ」
……等、かつてあんなに嫌がっていた勉強や通知表の内申点等、「学校の成績」というものが、彼らの話題の中心となっていったのだ。
要は学校という社会に順応し始めたのだ。「大人」になったと言い換えてもいいかもしれない。
そんな中、僕だけが「子供」のままだった。相も変わらず勉強を忌避し、「遊び」の話題ばかりしていたわけだが、学校という社会に順応し、大人になった彼らに僕は次第に相手にされなくなっていったのだ。
あの時の戸惑いは、昨日のことのように思い出せる……。ついこの間まで無邪気な「子供」だった彼らが、急に社会に順応する「大人」になったのだから……。
僕は一人取り残された気分だった……。テストの点数や内申点を上げることのみに血道をあげ、他者と競い合う同級生たちの姿は、小学生の頃とは姿形は同じでも、全くの別人のように感じられた……。
次第に僕は「大人」になった同級生たちについて行く事が出来なくなっていった。彼らと同じように他者と競争し、成績をあげることのみに邁進する「大人」の世界では、生きていきたくはなかった。無邪気な「子供」の世界に戻ることを強く望むようになっていったのだ……。
……今にして思えば、僕はこの頃からすでに「社会」という「世間一般的な価値観の世界」を嫌い、「己だけの自由な価値観で生きる世界」であるへの道を歩み始めていたのだろう……。