「一般的な価値観」から「個別な価値観」へ……
「正社員にならなきゃ駄目だ」「もう少し将来の事を考えろ」「いつまでもこんな事をしていてはいけない」
……派遣社員をしていると、このような言葉を何度となく浴びせられる。
確かにこれらの言葉は、ある種の正論なのだと思う。
しかし、その正論は「一般的な価値観」に基づいた上での正論なのだと思う。
人間とは集団生活を基本とする生き物だ。そして集団生活をする上では、ある種の倫理に基づいた価値観……所謂「一般的な価値観」というものが必要ではある。そうでなければ単なる烏合の衆と成り下がり、集団を維持することは不可能である。
しかし、人間は個別の人格や個性を持った生き物でもある。個別の人格や個性があれば当然「個別な価値観」を持つものも生まれてしまう。その中には「個別な価値観」が強すぎるあまり、「一般的な価値観」との著しい乖離が生じてしまうものもいる。
そのようなものにとっては、「一般的な価値観」は己を苦しめる枷でしかない。どのような正論も苦痛でしかないのだ。
僕は冒頭に挙げたような「一般的な価値観」に基づく言葉に散々苦しまされてきた。
「どうして仕事が続かないのか……?」
「どうして派遣を続けてしまうのか……?」
「どうして働けないのか……?」
……と。
しかしそれは自分という存在を無理に「一般的な価値観」に押し込めようとして生じた苦しみなのだと思う。本当は……、
「自分に無理をさせない範囲で、細々と生きていきたい」
…という「個別な価値観」に基づいて生きていきたいと強く願っているのだ。
「個別な価値観」を強く持ちすぎるものにとって、「一般的な価値観」は苦痛しか生まない。苦痛を感じるくらいなら、たとえ集団から乖離しようとも「一般的な価値観」を捨て、「個別な価値観」に準じた生き方をしたい……。