気ままに生きる男の気ままな日常

非正規雇用で気ままに生きている男が気ままに綴っています。

高校時代のアルバイト……それはコミュニケーション下手のルーツ……

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高校2年生の春。

人生初のアルバイトは近所のスーパーだった。2001年のことだ。

朝の9時から2時までの5時間で、週5勤務であった。

 

出勤して最初にやることは、菓子パンのコーナーで開店前の品出しを行う。これを1時間程。そして開店後は食料品のコーナーで残り4時間ひたすら品出しであった。

 

僕がこの仕事を選んだ理由は、人と必要以上に接する必要がないだろうと思ったからだ。

 

 

バイタリティ溢れる人間だったらば、アルバイトには小遣い稼ぎと同時に同世代人との交流を求めるものだ。なので必然的に同世代人が集まりやすい飲食店やアミューズメント施設等でのバイトがベターかと思う。

 

しかし僕はとてもそういった場所で働ける気がしなかった。騒がしくて且ついつ人に声を掛けられるか分からない状況では神経が参ってしまうのだ。それに上記のような場所は、働いている人も客も当時の僕と同世代人が多い。同世代人が相手だと良くも悪くも立場が対等だ。当時の僕のコミュニケーション能力では、誰かと対等に接するなどとても困難なことだったのだ。

 

だがスーパーならば働いている人も客も年配の人が多い。年配の人相手ならば対等であることを求められない。ただ黙って従っていればいいのだ。よって落ち着いてのんびりと働けるだろうと思ったのだ。

 

僕の思惑通り、そこは実にのんびりとした雰囲気の店だった。品出しといったも特にスピードを求められるといったことはなく、淡々と作業することが許されるような環境にあった。

 

しかしたった一つ困ったことがあった。それは偶に客に商品の場所を聞かれることだ。これは正直しんどかった。当時の僕は碌に挨拶も出来ない少年だった。誰かを特定の場所へ案内するなど、とても高度なコミュニケーションだったのだ。しかも僕の管轄外の商品の場所を聞かれたときなどは、どう対処したらいいか分からないという焦りも手伝って軽いパニック状態に陥っていたのを今でも憶えている……。

 

 

 

……そんなこんなでそのスーパーへは半年程勤めた。

いやはや今になって振り返ってみると、当時の僕はとんでもないコミュニケーション下手……否、コミュニケーションそのものをとることが出来ていなかったと思う。現在もさほどコミュニケーションが上手くとれる方ではないが、挨拶やちょっとした社交辞令程度なら言えるようになった。普通の人にとっては何でもないことだろうが、僕にとっては大きな進歩だ……。